柳井田関門 |
文久3(1863)年、萩藩主毛利敬親が居城を萩から山口へ移鎮したのにともない、山口の防備を固めるべく下郷村に築かれたのが柳井田関門である。山陽道の通る小郡の町から分岐して山口町へ至る街道(現在の国道9号線)は、山口と瀬戸内海沿岸地域を結ぶ主要街道であったが、ここに関門と呼ばれる防御施設を設けることで、外敵の侵攻に備えたのである。藩では当時小郡宰判大庄屋であった林勇蔵らの協力の下、中領八幡宮の山麓付近にこれを建設し、砲台などを設置すると共に、他国人などの通行統制を行った。絵図では前面に水堀(空堀か?)のようなものが設置され、関門を通る道は鍵の字状に曲折して山口へ向かっている様子が描かれ、往事の特徴をよく伝えている。 |