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寺内 正毅
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(てらうち まさたけ) 寛永5年(1852)−大正8年(1919)
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山口県山口市平川出身。
明治時代の政治家、軍人。
御楯隊に入隊して、第二次幕長戦争に参加。
維新後、西南戦争に出征、その際に右手を負傷した。
日露戦争時には陸相を務め、その後、大正5年に首相に就任した。
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乃木 希典
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(のぎ まれすけ) 嘉永2年(1849)−大正元年(1912)
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江戸麻布の毛利藩邸で生まれる。
明治時代の軍人。
15歳で、吉田松陰の叔父である玉木文之進に学び、18歳で萩の明倫館に入学。
小倉戦争、西南の役に参戦し、日露戦争では第三軍司令官に就任。
その後、学習院で第10代院長に就任し、「質実剛健」の教育に力を注いだ。
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桂 太郎
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(かつら たろう) 弘化4年(1847)−大正2年(1913)
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山口県萩市平安古出身。
明治時代の政治家、軍人。
藩校明倫館で学び、馬関戦争、戊辰戦争に参戦。その軍功で得た資金で,
明治3年にドイツへ留学し、経済学などを学ぶ。
その後、陸相に就任、日露戦争時には首相として対処した。
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山県 有朋
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(やまがた ありとも) 天保9年(1838)−大正11年(1922)
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山口県萩市川島出身。
明治時代の政治家、軍人。
19歳のときに松下村塾に入門し、長州藩内抗争では奇兵隊軍監として、
戊辰戦争では参謀として活躍。
二度に渡って内閣を組織し、日露戦争では参謀総長として参加した。
その後は元老の第一人者として軍や政界に重きをなした。
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兒玉 源太郎
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(こだま げんたろう) 嘉永5年(1852)−明治39年(1906)
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山口県徳山市出身
明治時代の政治家、軍人。
明治初頭の戊辰戦争、佐賀の乱、神風連の乱、西南戦争を経て、その軍人としての才能を認められ、陸軍近代化にも貢献した。
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