展示資料目録


 今回は、山口大学附属図書館の庶民資料の中から、テーマに関連する史料を一部展示しました。

史料1 「軍用献納金 覚」


 【林家文書】 子 十年
諸隊支援の覚書の一つ。 4枚の文書が割印で止めてあり、2枚目に大庄屋林勇蔵、4枚目には鴻城軍総督であった井上聞多(後の井上馨)の名も見られる。
史料2 「軍用米銀請取方証文」

 【林家文書】 慶応元年(1865年)
諸隊からの請取方証文の一つ。 証文には、御楯隊総督の大田市之進、奇兵隊総督の赤根武人、 八幡隊を編成した堀真五郎らの名が見られる。
史料3 「郷土隊人名簿」

 【林家文書】 16×129 袋入 1袋
諸隊名簿の一つ。こちらの名簿には「小郡郷勇隊」の隊員名などが見られる。
史料4 「諸隊援助関連史料」 

 【林家文書】 
   「御楯隊鴻城軍江御貸銀御貸米帳」 元治2年(1865)   代官所(林勇蔵)
   「良城隊御出張中諸入目小割仕出帳」 明治3年(1870)   上郷庄屋 林秀之進
   「郷勇隊新出人数稽古御見分之節被差出付諸入目仕出帳」 元治元年(1864)
   「大五大隊海善寺江御出張ニ付諸入目仕出帳」 明治3年(1870) 庄屋 林秀之進
   「農兵屯所而銃陣稽古陣中御酒罷遣ニ付代銀仕出帳」 文久3年(1863) 
史料5 「御米蔵配置見取絵図」

 【林家文書】 慶応元年(1865年)
当時の小郡宰判付近における米蔵配置絵図
史料6 「台場築造図(柳井田関門)」

 【林家文書】 

柳井田関門とは、文久3(1863)年、萩藩主毛利敬親が居城を萩から山口へ移した事に伴い、山口の防備を固めるため下郷村に築かれたものである。小郡宰判の大庄屋であった林勇蔵らの協力の下、中領八幡宮の山麓付近から椹野川まで築き、砲台を設置して他国人などの通行統制を行った。  関門を通る道は鍵の字状に曲折して山口へ向かっている様子が描かれている。
史料7 「小倉地形見取図」

 【林家文書】 

慶応2(1866)年6月、第二次長州征伐の兵をすすめていた幕府軍と長州藩との間で、戦いが開始された。この戦いは長州の四方の藩境(大島口、芸州口、石州口、小倉口)で戦われたので、長州藩では「四境戦争」とよばれた。 地形図は下関側から北九州を見た図となっており、敵のダイバ(台場=陣地、大砲や陣屋などを設置している砲台)の位置などが書きこまれている。左上の「身方大勝利」を見ると、小倉城炎上後の敗残兵とのゲリラ戦における見取図であるかもしれない。
史料8 「椹野川図」

 【林家文書】 

山口県に流れている椹野川の絵図です。
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