棲息堂文庫は、徳山毛利家が江戸前期から明治初年にかけて収集した和漢書籍の総称である。
第3代目藩主毛利元次(1667-1719)は、和漢の学を好み、居館の近くに読書の処として建物を造り、棲息堂と名づけ、文庫を設けて古今の書を収蔵した。
棲息堂は、正徳5年(1715)の徳山藩改易時に取り壊され、亨保4年(1719)の徳山藩再興以降も再建されていないが、
改易時萩藩に移された書籍は徳山藩に戻され、以後、歴代藩主は図書の収集に勤めた。
明治29年(1896)、徳山毛利家では、これら蔵書の選りすぐりの善本、和書405部、漢籍645部ほかを宮内庁に寄贈した。
(「徳山毛利棲息堂蔵書目録」)この寄贈から除外された書籍の内、昭和39、42年の2回に分けて毛利就挙氏のご厚意により、
山口大学に8,208冊の寄贈があり附属図書館に収納された。目録は昭和61年(1986)に「山口大学所蔵棲息堂文庫目録」を刊行している。
和漢の善本のほか、幕末・明治期の実用書が多く含まれる。 |
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5.繍榻(しゅうとう)野史 2巻 【明刊】 江籬館
徳藩蔵書の印
徳山毛利は正徳六年(1716)に一度取りつぶしにあい、亨保四年(1719)に再興した。漢籍の蒐集家であった毛利元次の蔵書は一旦本藩の明倫館に収められ、再興のときに返却された。徳山藩では「明倫館」の印のあるものを快しとせず、
わざと肉太の「徳藩蔵書」の印を押し直して、もとの印を隠している。
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6.長防臣民合議書 1冊 元治2(1865) (木活)
慶応二年(1886)3月、徳川幕府による第二次長州討伐を前に、長州藩は、藩の蔵版局に命じて「長防臣民合議書」36万部を印刷させ、藩の内外に配布した。
これは、当時の長州藩の正義の立場を主張するためのもので、士、農、町民が一体となって、当時の難局に処する決意を表明したものである。
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7.新刻蘇板[全相大字]元亨療馬集【明刊】4巻6冊 喩本元、喩本亨撰 金陵 世徳堂 付:医駱駝薬方1巻
元亨兄弟の著になる療馬集は、刊記(著者名、出版元、出版地及び出版年月)が無いために、中国においても刊年の確定がなされていない。
しかし、棲息堂の蔵書春巻28丁5疔十毒病源之図には1546年を示す年号と兄弟の氏名・号等の刊記があり、この刊記によって、本書の正式な刊記が確定された。
(解説:日本獣医史学会 白水完児氏)
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