本間家文書展示目録

本間家文書(新出寄贈分)について

 山口大学附属図書館は、昭和36年、山口市嘉川の本間家から3,996点の文書をご寄贈いただいた。 本間家は、江戸期には歴代、庄屋、大庄屋を勤めた旧家であり、本間家文書は、幕末・明治期の庶民生活の実状を物語る県内屈指の地方史料 として研究者に評価が高い。
 本年春、嘉川在住の歴史研究家である杉山正実氏より、新たに本間家の古文書類が発見された旨、ご連絡をいただいた。杉山氏のご尽力と、 御当家のご厚意により、平成14年6月。この新出の本間家文書が新たに山口大学附属図書館に寄贈されることとなった。現在まだ整理中ではあるが、その一部を公開した。
 この新出の本間家は、木箱10箱に収められ、量的にはかなりの数に上り、既存の本間家文書を補完する貴重な史料群と考えられる。幕末維新期から明治・大正時代にかけての史料が大部分を占め、本間家の歴代でいえば、第12代治郎兵衛、第13代源三郎、第14代宰輔の時代のものとなる。
その特徴は2つある。第一点は、幕末〜明治初年にかけて、治郎兵衛が勤めた諸村の庄屋役中の文書、小郡宰判【明治に入って南吉敷郡と改称)の大庄屋関係文書など、藩政期の史料が新たに見つかった点である。第二点は、源三郎宰輔の時代に整理・保管されたと見られる嘉川村政・山口県令・山口県農会などの近世史料が豊富に所蔵されている点である。杉山正実氏が公刊された『本間源三郎日記』(平成11年刊)とあわせて見れば、近代の嘉川のみならず、広く山口県政に関してその実態解明に資すると思われる。

史料1「御沙汰状継立 下郷役中・本間」(左)
史料2「書翰其外継立 (下郷庄屋役中)」(右)


 本間治郎兵衛は嘉永4(1851)年9月から翌5年8月まで、小郡宰判の中心地であった下郷村の入庄屋(他村の庄屋役を勤務すること)を勤めた。この2つの史料はその際のもので、下郷村における藩や代官等からの沙汰、各村庄屋からの報告・願書など、具体的な動きがわかる好史料である。下郷村の庄屋文書がまとまって伝来していないことから見て、これらの史料的価値は非常に高い。
史料3「明治三年 南吉城郡諸村小貫定法帳」

 本間源三郎は、関係書類を袋で分類して保存していた。これはそのうち、旧小郡宰判(南吉敷郡、旧十一大区)の一七ヶ村の連合会議の議事細則・議案などである。明治11(1878)年に制定された明治政府初の内、郡区町村編成法で、旧来の大区・小区制が廃止された際、旧来の大区の共有財産等を管理するための過渡的な協議機関であったと考えられる。
史料4「明治一七年 一七ヶ村連(合)会議関係書類」

 本間源三郎は、関係書類を袋で分類して保存していた。これはそのうち、旧小郡宰判(南吉敷郡、旧十一大区)の一七ヶ村の連合会議の議事細則・議案などである。明治11(1878)年に制定された明治政府初の内、郡区町村編成法で、旧来の大区・小区制が廃止された際、旧来の大区の共有財産等を管理するための過渡的な協議機関であったと考えられる。
史料5「明治参拾年度臨時県会議案諮問案決議書其他書類」

 これも県会議員で県会副議長であった本間源三郎が残した県会関係の一件書類である。活字の議案書等にも源三郎による鉛筆でのメモが残され、また議会関係の通知状なども大切に保管されている。また尋常中学校問題について采香亭での協議を以来した議長雑賀敬二郎からの書簡も含まれている。
史料6「明治参拾年五月ヨリ 日本磨歯製造株式工加入書類」

 日本磨歯製造株式会社は、嘉川村の薬剤師井東久太郎が製造していた歯磨「富士の峰」を製造販売する目的で、明治30(1897)年3月、山口町道場門前に設立された会社である。設立発起人に本間の名は見えないが、地元嘉川から発祥した会社という関係から本間源三郎が出資したものであろう。歴史に埋もれてしまった明治期山口の企業の知られざる実態や、本間家の投資活動などがうかがえる興味深い史料である。
写真1

吉敷郡の住民にとって悲願であった椹野川の全面改修は、林勇蔵や本間源三郎をはじめとする旧小郡宰判の指導者らの尽力により、明治20(1887)年1月についに起工の日を迎えた。この写真はその改修工事のうち、東津築堤の様子を撮影したものと推測される。現在の小郡町元橋の辺りから南へ向けて撮られており、干上がった川底の浚渫、土砂による築堤作業などが見える。中央を横切る仮設道路上に、後に東津橋が架橋された。
写真2
 明治20(1887)年の椹野川改修にあわせて架橋された東津橋。当時は木橋であり、なおかつ現在の東津橋よりも北側に架けられていた。元橋の地名はこれに由来すると思われる。写真2は写真1と同様、元橋付近から河口(南)に向いて撮影されたものである。下流(現在の東津橋の辺り)には帆掛け船(上荷船か)が見え、往事の河口港であった名残がうかがえる。本間源三郎は椹野川改修総代として、7月28日に挙行された東津橋上等式に出席していた。


現在の元橋および東津橋周辺(西側岸から)
写真3
 年代不明。小郡津市にあった株式会社小郡銀行本店の景観。同行は明治33(1900)年に小郡の有志によって設立開業された銀行であった。本間家も出資もしくは経営に関与していたと思われる。大正7(1918)年に百十銀行(後の山口銀行)に買収されて営業を終えた。
写真4
 知事や県官の顔ぶれから見て、明治28(1895)年〜29年頃の山口県会メンバーの集合写真と思われる。前列右から3番目が副議長を勤めていた本間源三郎。
◇戻る◇