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 林家文書解題
  林家文書は、昭和30年(1955)に、当時の御当主であった林靖氏によって山口大学農学部に寄贈された文書群である。 現在は山口大学 総合図書館で所蔵しており、その点数は約5,000点に及ぶ。
(1)  林家の概要
 林家は、周防国吉敷郡(よしきぐん)上郷村(かみごうむら、別名・上中郷 、かみなかごう)仁保津(にほつ、現・山口市小郡上郷)の豪農で、その系譜は江戸時代初頭にまで さかのぼることができる。 延宝7年(1679)に四代・林文左衛門が初めて上郷村庄屋役を勤めたのを契機に、以後代々、庄屋(しょうや)役および小郡宰判(おごおりさいはん)大庄屋 (おおじょうや)役などを歴任して幕末に至った。
 宰判とは、広域の村々を代官が支配する萩藩の行政区画であり、大庄屋は宰判ごとに置かれて各村の庄屋を統括し、代官行政を補佐する役職であった。
  小郡宰判は、吉敷郡南部地域(現在の山口市南部および宇部市の岐波、防府市の台道)に設定されていた。 幕末期には、小郡上中郷、同中下郷(下郷)、嘉川(かがわ)村、江崎(えざき)村、佐山(さやま)村、遠波(とおなみ)村、井関(いせき)村、阿知須浦(あじすうら)、岐波(きわ)村・名田島 (なたじま)村、二島(ふたじま)村、本郷(秋穂)村、青江 (あおえ)村、大海(おおみ)村、陶(すえ)村、鋳銭司 (すぜんじ)村、台道(だいどう)村の 17か村で構成されていた。
 庄屋役は、 原則として村内の有力農民が勤め、大庄屋はその中でも特に富裕で有力な者が選ばれた。 この点からみても、大庄屋を出す家柄であった林家の大きな地位がうかがえる。 (小郡宰判図
(2)  幕末の大庄屋・林勇蔵
 林家歴代の中でも特に注目されるのが、十代当主となった林勇蔵である。 文政10年(1827)、 15歳で上中郷の給庄屋(給領地の庄屋)となったのを皮切りに、庄屋役、小郡宰判大庄屋役を歴任し、地域社会の指導者として、幕末維新の激動の時代に活躍した。 この間、開墾事業などの産業奨励、貧民救済、救荒備蓄に尽力したほか、農兵隊の結成や、砲台・関門の築造に携わるなど、重要な役割を担った。
 特に、慶応元年(1865)の「元治の内戦」(萩藩内の討幕派と恭順派の内戦。 大田・絵堂の戦が有名)に際しては、倒幕派に人馬・金穀の融通を行うなど、小郡宰判の大庄屋として難しい局面に対応している。
 維新後も、新体制の下、引き続き村落を代表する指導者として活躍した。 ペルーから雀糞(グアノ)肥料を輸入して農業生産力の向上を試みたり、晩年には藩政期以来の課題であった椹野川の治水事業に尽力し、政府へ働きかけて明治22年(1889)にその事業を竣工に導くなど、多くの業績を残した。
 中でも注目されるのが、明治6年(1873)の地租改正の際に果たした役割である。 周知のように地租改正は、従来の米納年貢を廃して地租金納という租税体系を構築した一大税制改革であった。 山口県は 、地租改正条例発布以前の明治5年(1872)から全国に先がけて地租改正を実施した。 その際、モデル地区となったのが小郡宰判地域であり、 林勇蔵は、農民的立場や豪農層の利害を代表して県庁と交渉するなど、主導的立場にあった。
 山口県では、金納地租への転換に際して生じる混乱を防止し、農民層の没落を防ぐと共に、地主層の利益確保を図るべく、 半官半民の「防長協同会社」が設立され、米穀の換金や地租の代納業務を行う特徴的な制度が実施されたが、林勇蔵はこれにも深く関与していた。
 晩年の勇蔵は、村役人としての公職を引退、十一代目の林秀之進(秀一)がかわりにこれを勤めた。 秀一は、明治以降、大きく変転する地方制度の中で、戸長・村長・郡県会議員を歴任し、父の後を受けて同じく地域社会の指導者として活躍し、地方行政にも深く関与した。  
(3)  林家文書の史料的価値
 林家文書は、上述した林家の性格から、地域社会の農政関係を中心とした庄屋・大庄屋文書を主としている。 中でも、居村である上中郷地域や、大庄屋を勤めた関係から小郡宰判地域全般に関しての史料が豊富である。
 内容は、土地制度や貢租負担・水利関係・諸産業・農村金融・交通・宗教など、社会・政治・経済・文化の全般にわたり、この地域の精密な実態解明に資するものである。 また、林家そのものの経営実態を示す史料も含まれており、幕末~明治期の豪農の経済的基盤や性格を知る手がかりとなる。
 年代的には、勇蔵・秀一の時代の史料が中心で、幕末維新から明治に至る転換期のものが多い。 特に、先述したように、彼らが明治維新やその後の地租改正などに大きく関与している点を考えれば、その史料的価値は非常に大きい。 この点に関しては、この時期に林勇蔵が記述した日記類が多数残存している点も注目される。
 またこの文書は、支配者側の史料ではなく、農村側の立場によって残された史料であるから、農民や村落といった庶民の観点から明治維新史や近代地方史の研究にアプローチできる。 そうした意味でも、林家文書はまさに第一級の地方史料群とみなせるだろう。
 このため、山口大学へ寄贈されて以来、林家文書は全国的に注目されてきた。 特に明治維新史研究においては、倒幕の主体勢力となった長州の経済的基盤として小郡地域が注目され、その地域の民衆や豪農層の動向を把握できる史料として、政治史や経済史研究に活用されてきた。
 また、地租改正研究においても、その事業に農民側の代表として実際に従事していた当事者の史料として重視された。
 ただ、総体的かつ細部の分析は必ずしも十分ではなく、本格的な調査研究によって今後も多くの未解明な問題が明らかになるであろう。 近年そうした研究が進展しつつあり、今後はこの史料群の有効活用によって、明治維新や地租改正の研究のさらなる深化と共に、江戸時代から明治期にかけての地域社会の具体像解明の進展が期待される。  
(4)  林家文書に関する研究・参考文献
 これまで林家文書を利用した諸研究や参考文献には以下のものがある(2009年末現在)。   
①藤井葆光『維新史料 大庄屋林勇蔵』(1916年初版、1971年に小郡郷土研究会が復刻)
②能美宗一編『小郡町史』(小郡町役場、1933年)
③田中彰『明治維新政治史研究』(青木書店、1963年)
④小林茂『長州藩明治維新史研究』(未来社、1968年)
⑤小郡町史編集委員会編『小郡町史』(小郡町、1979年)
⑥青山忠正「長州藩元治の内乱における諸隊の動向」(『日本史研究』246、1983年)
  青山忠正『明治維新と国家形成』(吉川弘文館、2000年)に収録
⑦三宅紹宣『幕末・維新期長州藩の政治構造』(校倉書房、1993年)
⑧渡辺尚志編『幕末維新期萩藩村落社会の変動』(岩田書院、2002年)
   同書第二篇 「村と豪農~上中郷と林家を事例として~」
    第四章 尾川弘「幕末期における大庄屋林家の農業経営天保十二年~弘化四年「当座差引帳」の分析を中心
          として

    第五章 又野誠「近世後期萩藩村落の庄屋元足役貫の算用と農村支配―小郡宰判上中郷を事例として―
    第六章 渡辺尚志「歴史像はいかにつくられたか―地域指導者 林勇蔵の明治維新―
⑨小郡町史編集委員会編『小郡町史史料 林勇蔵日記』(小郡町、2003年)
⑩渡辺尚志『東西豪農の明治維新』(塙書房、2009年)
 上記の文献は、2009年末現在までのものを、筆者の管見の範囲で挙げたものであり、見落とし等があればご容赦
 いただきたい。
(5)  関係史料
 林家文書は、山口県文書館にも 、「諸家文書」としてその一部が所蔵されている。 山口県文書館所蔵分の林家文書は約500点であり、山口大学図書館所蔵分とあわせて見れば、その全容が把握できるだろう。 また、林家にも勤功願書などの一部の史料が残されている。
 国立国会図書館憲政資料室所蔵「井上馨関係文書」には、「林勇蔵手控写」(明治17年、資料番号696-9)、「林勇蔵履歴之概略」(明治18年、同696-10 )、林勇蔵履歴之附録(明治18年、同696-11)があり、林勇蔵の詳細な経歴がわかる。
 この他、林家文書を理解する上で参考となる史料群として、山口県文書館所蔵の「山口・小郡宰判記録」および「県庁伝来旧藩記録・宰判本控」が挙げられる。 前者の「山口・小郡宰判記録」は、小郡宰判の 役所である勘場(かんば)で作成、収受された文書・記録群である。 後者の「宰判本控」は、各宰判内の諸村からの願書・伺書、代官の演説(意見書)といった上申書類と、それに対する藩の郡奉行所の沙汰書によって構成された領政に関わる基本史料で、「小郡宰判本控」は寛延元年(1748)から明治5年(1872)までの計 11冊が残されている(途中欠年有り)。
 いずれも、林家文書の庄屋・大庄屋関係史料と密接に関連する内容であり、双方をつきあわせて見ることで、小郡宰判地域の精緻な実態解明が可能となるであろう。
 なお、大庄屋などの萩藩の地方役人に関しては、矢野健太郎「幕末維新期における萩藩の「勘場」と「勘場役人」~小郡宰判を事例として~」(『九州史学』137・138、2003年)に詳しいので参照されたい。 
   (山口大学経済学部・教授  木部和昭)
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