貴重図書・特殊文庫

 山口大学図書館では、特に貴重書選定の基準を設けているわけではないが、和書については、本学の前身たる山口講習堂、藩校明倫館などの旧蔵本および、山口大学発展の足跡を示すものを、大切に保存するよう配慮しており、漢籍については明末までの版本を、洋書については1800年以前の版を、一応の対称として珍重するべきものをえらんでいる。
 特殊文庫では若槻保治氏旧蔵の若月紫蘭文庫は、日本の演劇史研究上重要な存在で、「松平大和守日記抄」はとくに貴重な資料として注目されている。また、徳山毛利家旧蔵の棲息堂文庫には漢籍の珍本も含まれる。

貴重図書
洋書114点
和書和漢書
特殊文庫
棲息堂文庫  棲息堂文庫は、徳山毛利家が江戸前期から明治初年にかけて収集した和漢書籍の総称である。  第3代目藩主毛利元次(1667-1719)は、和漢の学を好み、居館の近くに読書の処として建物を造り、棲息堂と名づけ、文庫を設けて古今の書を収蔵した。棲息堂は、正徳5年(1715)の徳山藩改易時に取り壊され、亨保4年(1719)の徳山藩再興以降も再建されていないが、改易時萩藩に移された書籍は徳山藩に戻され、以後、歴代藩主は図書の収集に勤めた。  明治29年(1896)、徳山毛利家では、これら蔵書の選りすぐりの善本、和書405部、漢籍645部ほかを宮内庁に寄贈した。(「徳山毛利棲息堂蔵書目録」)この寄贈から除外された書籍の内、昭和39、42年の2回に分けて毛利就挙氏のご厚意により、山口大学に8,208冊の寄贈があり附属図書館に収納された。
(山口大学所蔵棲息堂文庫目録--1989--)
明倫館文庫   明倫館は、亨保3(1718)年に創設された萩藩の藩校である。  文久3(1863)年、藩府の山口移転に伴い、明倫館は萩明倫館と改称し、以後教育の中心は山口明倫館に移るが、明治5(1872)年の藩校廃止時には、蔵書が3万冊以上あったと推定される。  山口明倫館は明治3年学制改革で山口中学になったが、萩明倫館と同様明治5年に廃止され、両明倫館の蔵書の多くは散逸した。現在、山口大学附属図書館が所蔵する旧蔵書は、山口師範学校に引き継がれたもので、明倫館旧蔵書は、山口大学のほか、山口県立山口図書館、山口県文書館、萩高等学校、萩市立図書館等に散在している。  幕末期に目まぐるしい変遷があった明倫館旧蔵書には、様々な蔵書印が押されており、その収集時期やルートをうかがうことができる。
 明倫館文庫は、萩・毛利藩の藩校明倫館、幕末に明倫館の直轄となった山口明倫館及び 越氏塾の各校旧蔵書5,957冊
(明倫館・山口明倫館・越氏塾旧蔵和漢書目録--1986--)
若槻紫蘭文庫
浄瑠璃を中心とした近世演劇関係資料(筆者の写本、江戸時代の刊本、浄瑠璃関係の写真等)
和書714冊 洋書9冊 レコード10枚
(若月紫蘭文庫目録--1961--)
赤松文庫
赤松智城(1886-1960)
社会学・社会宗教学関係・和書592冊 洋書1,649冊

近世・近代庶民資料
林家文書 小郡町仁保津の旧家林家に延宝年間より維新廃藩置県に至る190年間に渡る大庄屋としての
農政経済資料・大庄屋文書、4,887点
蔵永家文書
景山家文書
山根家文書 山根家は毛利家譜代の家臣で累世藩の勘定方、郡方、代官、奉行を努めた萩市の旧家。
経書・暦本・詩文・定法学・先例技書等。569点
本間家文書 本間家は山口市嘉川の旧家で代々庄屋座・大庄屋・大宰料・大頭等を努めた
その資料は幕末明治の庶民生活の実状を物語る県下屈指の資料。3,996点
江本家文書
中山家文書 中山家は防府市大道の旧家で、庄屋畔頭・給庄屋等を努めた。また幕末は大楽源太郎の
西山塾が敷地内にあった関係でこの資料も多数存在している。513点
枝村家文書 明治初期官吏だった枝村友吉・時太郎(医師)の収書であり、地方土木に関する資料及び
医学書が多い。484点